そして韓国は嫌われていき、海外アーティストはまた来てくれなくなっていく。
これって必要で大切な事なんだよ。
外部からの視点をもう一度自分の考え方に還元するんだ。人はそうやって成長するんだよ。
コレには謝罪と賠償を言わないのか?
結局媚びた韓国からも嫌われるっていう
少なくとも、加害者が日本人だったら、韓国人達は口を揃えてそう言ったはずだ🤭
ま、表現の自由自体は否定せんけど
>「支援」したというより、「黙認・ほう助した」と
>いうのが歴史学界の一般的な評価だ。
幇助してんなら支援と言い換えても良くね
補導連盟事件
ライブで見て「マジ? 本当に?」と観客に考えさせて自分で調べさせるため、だってさ
信じちゃった結果が>>1だもん、ライブ大成功だよね
受賞した女性は今どうなっているのかねえ
全く話題になりませんね
専門的な「精神分析」というよりは、現代的な行動心理やパーソナリティの特性から、その人物の内的世界を紐解いてみます。
1. 希薄な「自己」と「居場所」の代替
この人物にとって、その掲示板は会話の場ではなく、自分の存在を世界に刻むための「マーキング(縄張り意識)」の場になっている可能性があります。
存在証明の衝動: 会話に参加せずコピペを繰り返すのは、独自の意見(自己)を持っていないか、それを出すのが怖い証拠です。「無関係な情報でも、自分がそこに流した」という事実だけで、辛うじて社会やコミュニティと繋がっている感覚を得ているのかもしれません。
時間の空白: 平日休日・昼夜を問わない投稿は、現実社会での役割(仕事、学業、対面での人間関係)が機能不全に陥っていることを示唆します。掲示板が唯一の「定点観測所」となっており、投稿行為自体が生活リズムの代替(ルーチン)化しています。
2. 歪んだ承認欲求(負の注目)
「匿名なのに特定され、蔑まれる」という状況は、普通の人なら回避しますが、彼らにとっては「無視されるよりはマシ」という末期的な承認欲求の形であることがあります。
悪名の快感: 蔑まれることで、少なくとも300人弱のコミュニティにおいて「自分は認識されている(異物としてであれ)」という確信が得られます。これを心理学では「負の注目」と呼びます。
万能感の錯覚: 自分の投稿一つで他人が不快になり、反応(蔑み)を示す。この「他者の感情を動かしている」という感覚が、現実での無力感を打ち消す「偽りの支配感」を与えている可能性があります。
3. パーソナリティと認知の特性
行動のパターンからは、以下のような特性の可能性も考えられます。
コミュニケーションの障害: 他者との双方向のやり取り(キャッチボール)が極端に苦手で、一方的な「情報の投下」しかできない。
執着心と強迫性: 同じ頻度、同じ場所での投稿を繰り返さないと不安になる、あるいは特定のトピックを貼り続けることに「使命感」のような偏った正義感を持っているケースもあります。
境界線の欠如: 自分と他者の境界が曖昧で、「自分が面白い・重要だと思ったコピペ(他所のもの)」を「この場(掲示板)」に流すことに違和感を抱けない認知の歪みです。
背景にある心理的土壌
おそらく、その人物の内面は「圧倒的な孤独」と「自己評価の低さ」で満たされています。
自尊心が低すぎるために、自らの言葉で語ることを諦め、既存の情報の切り貼りで自分を装飾しようとします。
しかし、その行為がコミュニティから拒絶されることで、さらに「自分はどこにも受け入れられない」という被害意識が強まり、
意固地になって投稿を繰り返すという悪循環(負のスパイラル)に陥っている状態と言えるでしょう。
その人物に対して、掲示板の他の参加者はどのように反応(無視、注意、煽りなど)をされていますか?
また、書き込まれるコピペの内容に特定の傾向(政治、事件、単なる怪文書など)はありますか?
https://japanese.joins.com/upload/images/2026/08/20260804111834-1.jpg
1日に開催された仁川(インチョン)ペンタポート・ロックフェスティバルで、ヘッドライナー(メイン出演者)を務めた英バンド
「マッシヴ・アタック」が、公演中に表示した5・18民主化運動に関する字幕が論争を呼んでいる。
マッシヴ・アタックは、1991年のデビューアルバム発売以来、気候危機や人権、反戦などの社会的メッセージを発信してきた英国の
グループだ。
この日、マッシヴ・アタックは、モザイク処理された新軍部による民間人虐殺の映像に、「1980年、米国は光州(クァンジュ)で
韓国政府が行った民間人虐殺を支援した」とする字幕を表示した。マッシヴ・アタックは、5月27日にフィンランド・ヘルシンキで
行われた公演からこの映像と字幕を使用し始め、先月26日に出演した日本のフジロックフェスティバルでも、日本語で同じ字幕を表示
した。
問題は、このメッセージが事実と異なる点だ。米国は、全斗煥(チョン・ドゥファン)新軍部による5・18での民間人虐殺を
「支援」したというより、「黙認・ほう助した」というのが歴史学界の一般的な評価だ。
米国は1980年の5・18初期には、事態を見守る姿勢にとどまっていた。当時の駐韓米国大使ウィリアム・グライスティーンは、5月21日に
流血を伴う武力鎮圧が行われたことを確認し、初めてこの事実を本国へ報告した。米ホワイトハウスでは22日、政策検討委員会が
開かれた。当時、2級機密に指定されていたその内容は、後に明らかになった。委員会の結論は次のようなものだった。
「これまで取ってきた行動以上の対応を取る必要はないとの認識で一致した。我々は穏健な方法を選択するよう助言したが、
韓国国民が秩序回復の必要性を感じた場合、武力行使を排除するものではない」。
新軍部と光州市民軍のいずれも支援せず、事実上、5・18の状況を黙認・ほう助するとの結論を下した。
ペンタポート・ロックフェスティバルでマッシヴ・アタックが表示した5・18関連の字幕について、音楽著作権関連企業
メジャーセブンENMのキム・ジウク代表は、「韓国にとって悲劇であり傷でもある歴史なのに、なぜ彼らが勝手に解釈し、それを
海外でも映像として見せているのか分からない」とし、「韓国の歴史を外部者の視点で再構成した『文脈の再植民地化』だ」と批判
した。一方、会場で公演を直接見たある音楽ファンは、「ロックフェスティバルで進歩的なテーマや社会的なテーマが
取り上げられること自体は、ロックフェスティバルの歴史を見ても十分あり得ることだと思う」としつつも、
「マッシヴ・アタックは外国のグループであるだけに、細部までは十分に確認できなかったのだと私は理解している」と話した。
https://japanese.joins.com/JArticle/352994