国家損壊罪
高市自民党
東京商工リサーチは17日、1~6月のハウスメーカー(木造建築工事業)の倒産件数が118件だったと発表した。前年同期比87%増で、2013年以来13年ぶりに100件を上回った。建築資材の高騰や住宅ローン金利の上昇による購買意欲の低下が響いた。
土建屋は自民党支持層
ザマァ!!!
東京商工リサーチが8日発表した2026年上半期(1~6月)の企業倒産(負債額1千万円以上)は、前年同期比7.1%増の5346件となり、上半期として12年ぶりに5千件を超えた。円安で物価高が加速し、中小企業を中心に経営を圧迫した。
一石二鳥ニダ
しかもペンキでなんか書いてある、あのさー、ペンキ使った時点で歴史なんて感じないのよ
OINK、OINK
味見をして健康状態を確認していた
の次がいきなり
>2002年の〜
かよ。間に出来事ないのか?
中国ですらもっと上質だったと思うけど
1882年…明治15年に作られたトイレが国家遺産とは
1910年…明治43年だから日韓併合の年だね、、なんか遅くね
余程うれしいんだろ。
考古学で土中の寄生虫の卵の有無で便所特定するけど
ソウルはそこら中卵だらけで便所特定出来なかったってくらい。
保存
おさらい●1894年当時ソウル
北京を見るまでわたしはソウルこそこの世で一番不潔な町だと思っていたし、紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世でいちばんひどいにおいだと考えていたのであるから!都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。
・・・25万人の住民は主に迷路のような道の「地べた」で暮らしている。路地の多くは荷物を積んだ牛同士が擦れ違えず、荷牛と人間ならかろうじて擦れ違える程度の幅しかない。
おまけに、その幅は家々から出た糞、尿の 汚物を受ける穴か溝で狭められている。
酷い悪臭のするその穴や溝の横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たちと疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、日向でまばたきしている。
ソウルの景色のひとつは小川というか下水というか水路である。蓋のない広い水路を黒くよどんだ水がかつては砂利だった川床に堆積した排泄物や塵の間を悪臭を漂わせながらゆっくりと流れていく。水ならぬ混合物を手桶にくんだり、小川ならぬ水たまりで洗濯している女達の姿。
≡≡≡÷
イザベラバードは日本が保護国となり統治されインフラ整備されたソウルを再びおとずれて、日本を褒めていた
ここまでインフラ整備できるのは日本だけ。
まさしく日本遺産
日本が保護国として統治し建設させた
↓
報徳寺の解憂所は1882年、
さ海印寺国一庵は1910年に建てられ、仙岩寺の建物は1701年以前に建設された後、1928年に修理されたことが確認
【07月17日 KOREA WAVE】韓国の寺院に残る伝統的なトイレ「解憂所(ヘウソ)」3カ所について、国家民俗文化遺産への指定が
検討されている。
国家遺産委員会の民俗文化遺産分科は14日、安東河回村会館で会議を開き、全羅南道の順天・仙岩寺、江原道の寧越・報徳寺、
慶尚南道の陜川・海印寺国一庵にある解憂所を審議した。
委員会は、3カ所が本来の姿と機能を比較的よく保っており、仏教史、建築史、民俗文化の面で価値があると評価した。
寺院のトイレは「厠間」などさまざまな名称で呼ばれてきた。「解憂所」という名称は、20世紀半ばに通度寺極楽庵の鏡峰僧侶が、
大便用を「解憂所」、小便用を「休急所」と区別して表示したことから広まったとされる。
初期仏教では使用方法が戒律に定められるほど、修行共同体の重要な生活文化だった。しかし、利便性や衛生面が重視されるようになり、
2002年のサッカー・ワールドカップ開催などをきっかけに、多くが水洗式へ改修された。
現在、伝統的な姿を保つ解憂所は10カ所前後しか残っていない。
建築年代も比較的明確だ。報徳寺の解憂所は1882年、海印寺国一庵は1910年に建てられ、仙岩寺の建物は1701年以前に建設された後、
1928年に修理されたことが確認されている。
3カ所はいずれも傾斜地に楼閣式で建てられ、通風や採光、臭いの排出、排せつ物の回収に適した構造を持つ。個室には当初扉がなく、
仕切りも成人の胸ほどの高さだった。目線の位置には木製の格子窓が設けられ、山寺の景色や日差し、風を感じられる開放的な造り
となっている。
海印寺国一庵と報徳寺では、現在も排せつ物を畑の肥料として使っている。排せつの場であると同時に、農耕社会の循環型生活や
共同体文化を示す施設としても価値があると評価された。
7/17(金) 15:12配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/362865cf257c329ec752bbd14709d97d55a3867e